2017.11. 5
「イエスは世の光」
ヨハネによる福音書  8章1〜20節
小 菅 香世子 師
 

1、荒野(人生)の旅の道しるべ
 モーセの時代、荒野を旅していたイスラエルの人々にとっては、神様が用意してくださった雲の柱、火の柱が旅の導きでした。その動きによって40年もの間人々の旅が守られたのです。ヨハネは1章で「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」と言いました。そして、8章においてはイエスご自身が「わたしは世の光である。」と言われているのです。
 この時、エルサレムでは仮庵祭が行われており、神殿では4つの大燭台が周りをこうこうと照らしていました。しかし、どんなに神殿で礼拝し、お祭りを祝っても人々の心は明るくはありません。せっかくイエス様がおいでになってもイエス様のことが分からず、自分のことも見えず、心の向いている方向が定まらずにいました。
  2、神殿の境内におられるイエス様
 イエス様は朝早くから神殿の境内に入られました。神殿は真の主(あるじ)を迎えたのです。光なるお方を迎えることほど幸いなことはありません。まさにインマヌエルそのものでした。(マタイ1:23)しかし、そこにファリサイ派の人々が罪の女性を連れてきました。人のことには敏感なのに自分のことには鈍感な人々でした。せっかくイエス様の周囲には恵みが満ちていたのに彼らはそれを壊しました。しかもイエス様を訴えるために。
  3、もう罪に定めない
 イエス様と罪の女性を陥れようとした人々にイエス様は「罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました。そしてひたすら身をかがめて地面に何か書いておられたのです。イエス様の沈黙は人々の心に気付きを与えました。結局皆立ち去りました。女性だけが残りました。どんなに自分も立ち去りたかったでしょう。でもイエス様の前に立ち続けたのです。「わたしもあなたを罪に定めない。」と赦しの言葉をいただき女性はイエス様に心を照らしていただいたのです。