礼 拝 説 教 要 旨          2007.7.22
「神の御支配に身をゆだねる」
ルカ福音書  22章47〜53節
小 菅  剛 牧師


  愛で裏切られるイエス 
 ユダは接吻するためにイエスに近づく。接吻する(フェレオー)は男女の愛ではなく、友情、友愛をさす。
アメリカの大都市にフェラデルフィア(兄弟愛)がある。 「ユダ、あなたは愛によって人を裏切るのか」とイエス。
幾度も友と仲間に裏切られたダビデは、「わたしを嘲る者が敵であれば、それは耐えもしよう。
しかし、それは、わたしの友、知り合った仲、楽しく、親しく交わり、神殿の中を共に行き来した者だった」
と言い、友から裏切れた苦しみから「その人は死に襲われるがよい」(詩篇55:13〜16)とさえ言っている。
しかしイエスは、裏切る友のために命を捨てて下さった(ヨハネ15:13)。  
  剣はイエスに
 大祭司の手下マルコスの耳を切ったのはペテロであった(ヨハネ18:10)。イエスは「やめなさい。
もうそれでよい」と言ってマルコスの耳を癒された。「それでよい」とは、彼らがしようとすることを
させなさいの意味である。ペテロはイエスを守ろうと剣を用いる。イエスは、犯罪人の一人となり、
父が与える杯を飲まれる。イエスは父の計画に身を委ねられる。我らは宗教を守ったり、
担ったりしてはならない。我らは父に担われて生きるのである。だからイエスを守り宇、
宗教を守る考えを放棄しよう。徹底して担われて生き抜こう。  
  闇が力を振るうときも神に信頼しよう
 イエスが毎日神殿で教えていたときにイエスを捕らえなかった。それは、神がイエスに対する人々の
憎しみや怒りを抑えておられた。だから、昼にイエスを捕らえることはできなかった。
神の許しがなければ、髪の毛一筋も損なわれることはない。しかし、今は父がそれを許される。
これは我らへの慰めである。父の許しが無ければ悪魔はわたしたちに手足を出せない。
父は耐えられる時に、耐えられる量の試練しか与えられない。


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