礼 拝 説 教 要 旨 2007.3.11
「人の子は安息日の主」
マルコ福音書 2章18〜28節
小 菅 香 世 子 師
1. 断食問題
ファリサイ派の人々はよく断食をしました。1週間に何日か日を決めて物を食べなかったり、一定の期間食べなかったり、あるいはいつも粗末な食事にしたりといろいろ方法があったようです。ヨハネの弟子達もヨハネが捕らえられ、投獄、処刑という時でしたので断食しました。当時の宗教家たちはよく断食したのです。それに反してイエス様の周りはいつもにぎやかで、喜びと感謝にあふれ人々はイエス様と一緒に食卓を囲んでいました。しかもその取り巻きの人々は徴税人、罪人達でした。「なぜ断食しないのか」と問われ、イエス様は今は花婿が一緒にいる婚礼のような時だと語ったのです。ファリサイ派の人々は神を求めて断食し一生懸命でした。もしそこに神がおられることが分かったなら彼らもきっと断食はやめて神の食卓にあずかり喜んだことでしょう。彼らの心の目が塞がれ真の食卓の主であられるイエス様を受け入れることができなかったことは残念なことです。
2. 安息日問題
ファリサイ派の人々は安息日も大変大事にしました。仕事もなにもせず神を礼拝することに集中しました。けれども、どう調べたのかまたはこっそり後をつけたのかイエス様と弟子達が安息日に麦畑を通り、麦の穂を摘んだことを安息日破りだと鋭く指摘したのです。昔、ダビデ王も掟破りをしましたが、それは見逃されています。王様だったからよかったのでしょうか。イエス様はここで本質に触れられております。安息日の過ごし方うんぬんはないのです。この日は神の前で心から礼拝し神を喜び休息する嬉しい日なのです。安息日の主であられるイエス様と弟子達は、なんと自由で嬉しい安息日を過ごしなさったかと思うのであります。新しい皮袋のような心で新しいぶどう酒(イエス様ご自身)をいただきたいです
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