礼 拝 説 教 要 旨          2007.3.4
「愛の涙を流すイエス」
ルカ福音書  19章37〜48節
小 菅  剛 牧師


 石ころの歌
 イエスがろばの子に乗ってエルサレムに近づかれた時二種類の反応があった。弟子たちはイエスを声高らかに賛美した。一方イエスに批判的なファリサイ人は、賛美しないばかりか、賛美する人たちを黙らせようとした。妬みと表面的な平和主義(ローマ軍との争いにならぬように)の事なかれ主義的反応であった。それにイエスは答えて、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」と言われた。教会でクリスチャンが賛美を止めたら、教会の煉瓦(石)が叫びだし、教会は崩されるであろう。やがて、ローマ軍によってエルサレムの石は崩され、滅ぼされた。バプテスマのヨハネは「言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちをお造りになる」(ルカ3:8)と語ったペテロは岩である。わたしたちは石かも知れない。つまらない小さな石ころを十字架と復活によって罪を許し、義と認めて下さり、永遠の命を与えて下さった。この神の子たちは賛美する「歌えど、尽きせぬ、主の誉れ、御栄えハレルヤ、・・神の子供よ、叫べよ、歌え、輝く道に我らは進む」(聖歌468)とバックストンは手を打って歌われた。淡路島の洲本に嶋田季熊・好美先生が伝道された。好美先生は京都で救われたとき「我罪人のかしらなれども、主はわがために命を捨てて、尽きぬ命を与えたまえり」(旧賛美歌249)を毎日歌い叫ばれた。晩年証の「石ころの歌」を出された。
 涙のイエス
 昔息子アブサロムに追われ、ダビデと家臣もここを泣きながら歩いた(サムエル記下15:30)ことがあった。昔の人は、手放しで泣けるのは子供と気違いと役者だと。イエスは都が見えるところ、ろばに乗り人々の中で涙を流された。神に選ばれ、愛されているエルサレムの人々が救い主を拒むのである。イエスを十字架につけるのである。やがて神殿が崩されるであろう。愛と痛みの涙だ。我らは主を苦しめた悔いの涙がある。


                        TOP