礼 拝 説 教 要 旨 2006.7.23
「イエスは進み行かれる」
ルカ福音書 13章31〜35節
小 菅 剛 牧師
1. 使命が終わるまで
ルカはイエス伝を時間的地理的順序よりもメッセージに重点を置いて記した。ガリラヤの領主ヘロデはイエスを殺そうとした。バプテスマのヨハネを殺し、次はイエスである。イエスによって殺したヨハネを思い出し苦しんでいた(マタイ14:2)。イエスがガリラヤを去られてエルサレムに向かわれたのはヘロデの殺害を逃れてではない。イエスはヘロデが反対し、殺そうとしても神から託された使命を果たされる。「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気を癒し、三日目にすべてを終える」と語られた。信仰者は決して病や人の手で死ぬことはない。使命を果たし終えない限り人は死なないのである。
2. 閉じられる前に招きが
「ちょうどそのとき」(:31)で始まるこの段落。イエスはこの前に「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまって」(13:25)と語られた。戸が閉められる前に、神は人々を招かれることを告げる。「ああエルサレム、エルサレム」(:34,口語訳)とイエスは嘆かれる。この嘆きはエルサレムの罪を嘆いておられるのではない。「雌鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった」とあり、イエスは招きに応じなかったことを嘆かれた。罪の嘆きであり、愛の嘆きである。招きに応じない民を愛してエルサレムで命を落とされる。
3. エルサレムの高揚
「見よ、お前たちは見捨てられる」と裁きが宣告されるが、ルカは向こうに「祝福があるように」とイエスに叫ぶ回復の時も見ている。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。」(イザヤ2:2,3)。神の民は不信仰の結果、試験を受けても神は見捨てられない。
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