礼 拝 説 教 要 旨 2006.3.5
「何を祈り求めるか」
ルカ福音書 11章1〜13節
小 菅 剛 牧師
イエスに弟子の一人が「主よ、祈りを教えてください」と言う。文字通りには「主よ、祈りつつあることを教えてください」で、祈り方を教えてくださいではない。マリヤがイエスの足元に座り、御言葉に聞き入っている祈りのマリヤ。イエスはこのマリヤの祈りの姿は必要なただ一つのことであると教えられ(10:39,42)、ここではイエスも父の前に祈っておられる(:1)。人は祈りの良書を読むことは助けになるが祈りの人にはならない。人は祈ることによってのみ祈りを学ぶのである。多くの祈りの本を読んでも祈りを知らない人もいる。ただ、祈りは実践と訓練によって学ぶのである。まずは祈ろう。声を出して祈ろう。集まって祈ろう。そこまでなくてならない一つのことを学ぶ。イエスに倣おう。マリヤに倣おう。
弟子の求めにイエスは祈りの型を教えられた。主の祈り、教会の祈り、弟子の祈り、などといわれる。短い祈りであり、マタイにある主の祈りよりもさらに短い。ルカは祈りの型(祈祷文)よりも祈りの内面性、心を記したかった。続くパンを求めるたとえは、それを表している。
第一に、友のためにパンを求める。他人のために求める愛の祈りは、父が必ず聞いてくださることを教えられた。祈りを聞かれる父(詩編65:3)の性質を知っている人は祈る。愛の祈りが聞かれた経験者は祈る。父は祈りを聞かれる方。
第二は、しつこい祈りである。パンを求めても友達だからといって与えないが「しつこいように頼めば」与えられる。くどくど時間稼ぎの祈りではない。熱心で根気強い祈りである。そこに祈りの純化が働く。何が必要なのか、本当に欲しいのか、信じるのか、などの祈りの動機や必要性が純化される。
第三に、純化された祈りは聖霊を求めるのである。主の祈りを生活する力である聖霊、自分が神の子である聖霊の証印(3:12)、誘惑に勝つ力(4:1)、聖霊の喜び(10:21)は必要。
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