礼 拝 説 教 要 旨 2006.2.12
「真の隣人イエス」
ルカ福音書 10章25〜37節
小 菅 剛 牧師
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」この二つの御言葉は、旧約聖書を要約したものである。律法学者は「わたしの隣り人とは誰のことですか」と質問した。彼は、「あなたの国民、ユダヤの民」であるとの答えを期待していた。この律法学者に、「その人に慈悲深い行いをした人」が真の隣人であると。このたとえの中のある人とは、全人類であり、エルサレムからエリコへ下るとは、神の国、エデンの園から、互いに傷つけ合い、憎しみ合い、心の痛手を癒すことのできない、罪の世界へ行くことを示す。そして強盗とは、この世の誘惑者、人を失敗させ、過ちに導く霊の力をさす。彼は、すべてのものをはぎ取られ、半殺しの状態で放置され、助けを求めている。世の人々の心の状態もこれと同じで、寂しく、孤独で、哀れみと同情を求めている。
ここに祭司、レビ人が通りかかった。エルサレムの神殿につとめる彼らの住居はエリコにあったので、頻繁にこの道を通っていた。そこは強盗が頻繁に出没するところでもあった。偶然に起こった出来事ではなく、想定内である。親切を示すにはもってこいの状況の中、祭司、レビ人は、そこを通り過ぎていった。彼らはエルサレムで「人に親切にせよ」と教えていた。私たちは彼らを責めることはできない。しかし、サマリヤ人は気の毒に思って、彼を助けた。ここにイエスの姿を見る。人は、立派な人、強い人のところによっていく。しかし、イエス様は弱い人のところに来て下さる方である。傷の手当てをし、宿屋に連れていって、デナリ2つを宿の主人に渡した。宿屋とは教会であり、デナリ2つとは、洗礼と聖餐である。この2つをもって私たちの罪を赦し、心の傷を癒し、強くして下さるのである。
イエスは、僕の姿となってこの世においで下さり、すべてのものを献げつくし、ついに命まで注ぎだして、私たちを愛して下さった。私たちの一番の隣人にイエスキリストはなってくださった。あなたの隣り人になりたいとこの世においで下さった。
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