礼 拝 説 教 要 旨          2006.2.5
「キリスト者の喜び」
ルカ福音書  10章17〜24節
小 菅  剛 牧師


 パウロはフィリピの手紙で「喜びなさい」と繰り返し語り、「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」(1テサロニケ5:16,17,18)と記されている。ここでは、何について喜び、何を喜んではならないかが語られている。
 1. 奉仕の成功は喜ぶな
 弟子たちが伝道に出かけ、喜びながら帰ってきた。弟子達の喜びは奉仕の成功と奇跡を行い、悪霊さえも屈服させた喜びであった。収穫は多いといわれた(10:2)通りだった。帰り道、彼らは自分の奇跡の力に陶酔しながら思い出しては喜んだ。イエスに報告すると、イエスは悪霊の支配や仕事の成功を喜ぶなと。その喜びは、キリスト者の本来の喜びを置き去りにし、成功は高慢になる。イエスはこの喜びを叱ったり非難はされない。なぜならサタンの国が弟子達によって崩壊し始めたから。イエスは弟子たちによるサタンの敗北を見抜かれた。その目は、今後弟子達に「害を加えるものは何一つない」と力強く約束をされる。
 2. 天に名が記されていることを喜べ
 弟子の真の喜びは「名が天に記されている」事である。誕生は戸籍に登録、洗礼は命の書に名が記される。天に名が記されるとは「私たちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)のことである。「勝利を得る者は、このように白い布を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。」(黙示録3:5)とあり、これを喜ぶのである。奇跡の力より永遠の命を。
 3. 天に名が記されるのはだれでしょう
 イエスは人間的に喜ばれるなら弟子達の成功を喜ばれた。しかし、イエスが神を誉め称えられたのは、イエスがメシアであることを知恵ある者に隠し、この弟子たち・幼子に示されたことを喜ばれたのである。神は幼子にイエスと神の国を示し、イエスは幼子にご自身を現された。イエスを見る人は至福である。


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