礼 拝 説 教 要 旨          2005.11.13
「この道一筋に」
ルカ福音書 9章51〜62節
小 菅  剛 牧師


 1. 天に上げられる日が近づく
 51節はキリスト伝を見る鍵言葉。数年前に育ったナザレ去るときも決意があった。数年間のガリラヤ伝道を終えて今やガリラヤを去る決意がここにある。イエスの決別は天に上げられることが目的であった。明日は見えなくても未来が見えているのが信仰。栄光に輝く天である。イエスはどれほど慕われたことか。信仰者もアブラハムと共に「はるかにそれを見て喜びの声を上げ」(ヘブライ11:13)ることができる。
 2. エルサレムに向かうイエ
 「人を愛すると言うことは、強い感情ではなく、意志であり、責務であり、契約である」(「愛するということ」著エーリッヒ・フロムより)。イエスはエルサレムに向かわれる。そこは二度にわたって弟子達に受難の予告をされた場所である。「最も小さい者」(:48)とは仕える僕の道を言われた。イエスを歓迎しないサマリヤの住民をヤコブとヨハネは「彼等を焼き滅ぼしましょうか」と復讐、仇討ちをイエスに告げる。イエスはサマリヤの住人が悔い改めて救われることを願う。十字架で敵を許すイエス。殉教者は「彼等に罪を負わせないでください」と祈って命を捨てて言った。復讐は神の御手に委ねよ。愛するとは意志である事を私たちは噛みしめよう。「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」(口語訳 へブル人への手紙12:2)
 3. イエスの固い決心
イエスの固い決意は、弟子の覚悟を語られる中に見られる。(:57〜62)。マタイは最初の弟子の歩み出しに入れ、ルカは伝道終わり、エルサレム行きでこのテキストを入れた。天に上げられる日を望み見てこの道一筋(ピリピ3:13,14)に生きよう。


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