礼 拝 説 教 要 旨          2005.11.6
「あなたの子をイエスの下に」
ルカ福音書 9章37〜50節
小 菅  剛 牧師


 山を下りられるイエス
 下山は翌日。前の晩にイエスは栄光の姿に変わられた。イエスが神の子である輝きである。ペテロはその場にいたことを喜び「ここにいるのはすばらしい」と叫ぶ。雲の中から父なる神は「これは私の子、選ばれた者」(:33)とイエスに語られる。その山をイエスは人の子として降りられる。これはまるで父の傍らにおられたイエスが肉体をとって私たちの世界に降って下さったことを思う。
 悲惨な山麓
 山麓には悲惨がある。悪霊に苦しむ親子。「さんざん苦しめられて」きた。現代の子ども、家族の暗黒の部分である。その上、弟子達も癒せなかった。ルカ9章1節にはイエスは弟子達に悪霊を支配する権威を与えられたのに、その力を失っていた。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と嘆かれるイエスは、そんな悲惨な社会に山を降りて下さった。イエスは神の子の栄光を放棄された。いつでもイエスは「その子を連れてきなさい」と招かれる。悪霊は子どもを狙う。子どもを痛めれば世界に未来がないことを知っているからである。イエスは子どもを顧みておられる。イエスによって少年は癒され、人々はイエスの偉大さに心を打たれた。
 人の子は人々の手に
 山頂のイエスの栄光、山麓のイエスの偉大さに驚く人々。そのイエスはエルサレムで殺される。弟子達は「その言葉が分からなかった」(:44)。神はこの世の人が思いも考えもしなかったことをわたしたちのためにして下さった。十字架は神の奥義である。今弟子達が理解できないのも弟子たちを守る方法であった。全てのことを弱い私たちが知ったならとても立てないであろう。イエスの内心の苦しみも知らないで、誰が一番かと論議し、弟子達と一緒に行動しない人々に反発と敵意を表す弟子。その弟子達のためにイエスは苦難を受けて救いを提供される。イエスは誰からも理解されずに十字架の道を進まれる。


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