礼 拝 説 教 要 旨 2005.7.31
「涙の出会い」
ルカ福音書 7章36〜8章3節
小 菅 剛 牧師
1. 信仰による救い
イエスへの愛を公に現したこの女性については町中周知であった「罪ある女」以外に解らない。イエスはシモンに多く愛したから多く赦されるのではなく、赦されたから愛すると言われた。女はすでにイエスに会って罪が赦されていた。大切な点である。それがどこで出会ったのかは謎である。ただ言えるのは、ここでイエスの足を涙で洗う前に罪が赦された感動と涙の出会いがあったことは確かである。ファリサイ派シモンは律法の行い・自分の行いによって救いを手にできると思っていた。多く愛したから許されると。しかし、借金を恵みで帳消しにされた譬えと「あなたの信仰があなたを救った」と言われたことから信仰による救い、信仰義認の宣言である。
2. 信仰に伴うわざ
「多く赦された者は多く愛する」ことを、イエスはたとえでわかりやすくシモンに教えられた。シモンはイエスを食事に招待しながら当時の習慣である客へのもてなしとして行われる足を洗う水も出さず、頭にはオリーブ油も塗ってあげなかった。現代なら座布団を出し、おしぼりを出すとでも言った具合である。それに反して女は涙で足を洗い、髪の毛で拭き、愛と尊敬の接吻をし、香油を塗ってあげた。女性はそうせずにおれなかった。「行いのない信仰はなく、行いを伴わない信仰は死んだものである」とヤコブは言った(ヤコブ2:14〜26)。パウロは救われた人の献身は理に適っていると(ロマ12:1)。「愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(ガラテヤ5:6)。8章の女性達も。
3. 赦された経験は確信へと進む
ある先生の奥さんは十代で救いを経験された。その確信は30年後であったと話して下さった。シモンに47節語られたが、今度は女の方を向いて「あなたの罪は赦されている」と確信を与えられた。これは必要である。十字架を新しく心に描き出し、聖霊による「ゆるし」の確認の声を聞くことは必要である。
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