礼 拝 説 教 要 旨 2005.2.6
「誘惑の正体」
ルカ福音書 4章1〜13節
小 菅 剛 牧師
1,イエスの誘惑
聖霊に満ちたイエスは、神に導かれて(霊によって引き差回され)荒れ野で「あらゆる誘惑」(:13)を受けられた。これはイエスの心霊上の経験であって、文字通りのことではい。悪魔の誘惑は神の御旨であった。なぜなら、イエスはあらゆる試練を受けられたからこそ、私たちの試練と弱さを思いやることのできる方なのである(へブライ2:18)。私たちが受ける誘惑は、欲望からであり、イエスの試みとは異なる。(ヤコプ1:13,14)。
2,誘惑の正体
イエスの試みはマタイにもある。しかし誘惑の順序が一部異なる。マタイはモ−セに導かれたイスラエルが荒れ野40年で受けた歴史的順序に沿っているが、ルカはそれを換えた。ルカは最後にイエスを神殿から飛び降りるように誘う。神殿では民衆がメシアを待望していた。悪魔はイエスが苦難を経ないでメシアとして人々から礼拝されるように誘惑した。それもみ言葉を持って。悪魔も聖書を使う。悪魔こそ最強の聖書学者、神学者である。本性は偽り(ヨハネ8:44)。3年後、人々や祭司長、律法学者たちは十字架上のイエスに「十字架から降りてこい、すぐ十字架から降り来るがいい。そうしたら信じてやる」(マタイ27:39−43)と叫ぶ。悪魔はイエスが十字架にかからずにメシアとなるように誘い、十字架に至っても降りてこいと訴える。これが誘惑の正体であった。石をパンにするのは自分自身を救うことである。十字架でも人々は「メシアなら自分を救え」(ルカ23:35)と言う。イエスが十字架の苦難と復活による万民の救いを成し遂げることを極度に紡害しようとした。イエスの苦難は悪魔の滅びでもあったから(ヘブライ2:14,15)。
3,勝利の秘訣
イエスは神の子の神的な力でなく、み言葉で勝利された。
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