礼 拝 説 教 要 旨        2004.11.21
「子供を招くイエス」
マルコによる福音書 10章13〜16節
小 菅  剛  牧師
 
母親たちは子どもたちをイエスに触れていただくために連れてきたというのです。子どもたちは全て健全に育って成人になるとは限りません。成長する過程で数多くの危険に出逢うからです。先日も小学校の帰途とても不幸な事件がありました。
子どもの安全を願う親の祈りは体の成長だけでなく、心の発達、魂の形成を含めて、すべての願いが込められています。
 母たちはこのような思いをもって、子どもたちをイエスのもとに連れてきたのでしょう。丁度、日本では七五三のお祝いの行事に示されるように、成長の節目に母親たちの万感の気持があらわされていたに違いありません。イエスに触れてもらう幸せを感じていたでしょう。イエスは門前払いなどなさらず、常に全てを受け止めて下さるとの思いで来たでしょう。
 ところが、弟子たちは母親の願いを妨げました。弟子たちはイエスの疲れ・忙しさ・予定の遅れなどを配慮したのか、母親たちの願いを拒みました。イエスは弟子の態度を憤って叱りました。親たちは信仰を教えることはできませんが、信ずる人のもとに連れていくことは親の責任といえましょう。
弟子たちはいつも道々で師から教えられてきました。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と          
しかし、弟子たちはイエスの権威ある言葉を幼子や母たちには無理・無駄・時間の浪費なことと思い違いをしたのかもしれません。弟子たちは大切なことを間違ったのです。
イエスは「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」と。「神の国はこのような無垢・無心で、自己を誇らず、誰が偉いかなど問わず、親を信じ、頼り切る幼子のように、神のもとに素直に近づくものこそ、神の国に入ることができるのだ」とはっきり教えたのです。
幼子はとても影響を受け易い環境にあり、悩み多い家庭を担う母親たちのすべての祈りに合せて、幼子を抱き、頭に手を置いて祝福されたのです。


                      (文責・Y兄)

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