先 週 礼 拝 説 教 要 旨 2004.7.18
「キリスト者のコース」
フィリピの信徒への手紙3章1〜16節
小 菅 剛 牧師
フィリピの教会は、パウロの第2回伝道旅行の際に、最初にヨーロッパへイエス・キリストを宣べ伝えた時にできた教会です(使徒言行録16:12〜40)。フィリピ書は、エフェソ・コロサイ書とともにローマの獄中でパウロが晩年に書いた手紙です。
パウロはこの手紙の内で自らの人生の転換を記しております。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」(3:5・6)と自らが「肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。」(3:4)と断言しております。「しかし」とパウロは叫びます。「わたしにとって有利であったこれらのことを、損失と見なすようになったのです。」(3:7)何故でしょうか。「キリストのゆえに」であります。「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」(3:8)とさえ言っております。
何故、これほどの価値転換があったのかを「キリストを得、キリストの内にいる者と」(3:8・9)されたからであるとパウロは記しております。「キリストを得、キリストの内にいる者」には「律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」(3:9)又、「キリストの内にいる者」ですから「キリストとその復活の力とを知り」(3:10)力に与る者になります。
神からの力を受けて、キリストが愛を貫き通し、自己犠牲・自己否定の道を歩み続け、模範を残された「その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら」(3:10)という愛の労苦の奉仕へと召されていくのです。
「ただこの一事を努めている。」(3:13口語訳)とパウロは言います。「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」(3:14口語訳)と。
(文責・S兄)
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