礼 拝 説 教 要 旨             2004.2.29
「働き人の備え」   
ゼカリア書3章1〜10節
小 菅 剛 牧師
 

 ゼカリアは、ハガイの同労者として、神殿の再建工事のために民を激励するとともに、イスラエルの栄光とメシヤの来臨を預言した人であります。ゼカリヤ書は8つの幻が記されています。第3章は第4の幻が語られています。それは、神の回復によってイスラエルに繁栄をもたらし、活気づけるため、清い人を用いられることを示しています。
 本書は第3章の冒頭に大祭司ヨシュアが御使いの前に立たされて、サタンの訴えにさらされている場面から始まります。ヨシュアは神の共同体を代表する者として、今までの不信仰の故にバビロンに囚えられ、恥かしめられてきた罪ある者、神への奉仕を怠ったものとして訴えられているのです。実際にヨシュアは汚れた衣を着ていました。しかし、神はヨシュアの汚れた衣を脱がせ、晴れ着を着せ、頭に清いかぶり物をかぶらせてやりなさいと、民の罪を担うヨシュアを許して下さって、サタンの訴えを却けているのです。
 単に神が民を赦されるのではありません。神は偏ることなく、全てを知っておられて、公正で公平な裁きをなさる神です。神の民の汚れをきよめるために神は「若枝」「わが僕」「石」であるメシアを遣わされるとあります(8、9節)。この石に碑文が刻まれる時に、1日の内に罪を取り除くと言われました。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」(マタイ21:42)とイエスは自らの受難を語られました。イエスの体にとがった鋭いものが刺し通され、血が流されることによって罪は赦されるのです。碑文は「父よ、彼らの罪をゆるしてください」と刻まれているのではないでしょうか。
 しかし、罪の聖めは神の宮で奉仕するための恵みです。神の事業に参加する人には必要不可欠の備えなのです。諸悪から自分を清める人は主人に役立つ働き人、あらゆるよい業のために備えられたものとなるのです。
                    (文責・Y兄) 
 
                
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