今日はルカによる福音書から、みなさんがよく知っておられる放蕩息子のお話をいたします。ルカの福音書15章は神の前から失われたものに対する、神の愛について、イエス様が語られた3つのお話からなっております。放蕩息子の話はそのひとつのお話であります。話は「ふたりの息子がいた。その弟は厚かましくも、父に生前贈与の分け前を要求した。父はこれを与えたというのです。息子は傍若無人にも父との分かれの言葉もなく、これを金に換えて遠い国に旅立った。その地で、放蕩の限りを尽くして、財産を無駄に使い果たしてしまった。このようなとき、この地に飢饉があって食べることにもこと欠き、豚の世話を与えられて、豚の食べるいなご豆を食べるほどに落ちぶれた。」ここで彼はようやく、虚栄の生活、幻の生活、地に根付かない生活をしている、身の程知らない自分の本当の姿に気づくこととなった。
貧しさに直面し、四苦八苦の苦しい生活を知って、苦しみよ有難うと気づいたというのです。「彼は我に返って、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」と父のもとに返っていった。「父親はまだ遠く離れていたのに、目ざとく息子を見い出して走り寄って首を抱き、接吻をして迎えた」というのです。
遠いところへ旅立ち=神の前から離れ、罪の生活に放逸の生涯を送る者には、自由、喜び、平安など神の特権は与えられないばかりか、いよいよ堕落の道をつき進みかねないことが少なくない。彼は本心に立ち返ることができた。父の大きな愛に気づくことができた。罪深い生活=身の程知らない欲求と放蕩、天=神への謙遜と慎しみのなかったことを悔い改めることが出来た。というのです。
神は罪人の悔い改めをいかに喜ばれるか、柔和と忍耐をもって導かれるか、まことに大いなる愛に営む父なる神である。父は走り寄って抱きかかえ、ともに祝宴を用意して愛に包んで下さることを覚えさせてくださる方です。
(文責・Y兄)
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