礼 拝 説 教 要 旨             2003.10.26
「憐れみに胸を焼かれる神」   
ホセア書11章1〜9節
小 菅 剛 牧師
 

  ホセアは紀元前約八〇〇年、北王国ヤロベアム二世の治世にあって、最も繁栄の時を迎えていた時代の預言者でした。預言者とは神がこの世に示す意志をそのとおり代弁して語る人であり、自己の絶体的な召命体験をもとに神の意志を民に伝える役割を担う人でありました。
 ホセアは神の霊をとおして神の意志をうかがい、心開かれて、教えられ、受け止めて神のこえを伝えたのがこの十一章でした。神は幼な子を全身全霊の誠の愛によって、細心に、限りない慈しみで育てる母のように、政治的に、道徳的に、社会的にも、宗教的にも実に幼稚なイスラエルを育んだ。と言うのです。
 しかし、「彼らは私が腕を支えて歩くことを教え、彼らをいやしたのが私であることを知らなかった。しかも、かたくなに私に背いている。」と預言するのです。
 神はこのような状態をみて、さらに、きびしく次にように語ります。
 「彼らが天に向かって叫んでも助け起こされることは決してない。」といいます。
 神への背きに対して、神の義・正しさにかけて厳しい断定を下そうとするのですが、一方では「お前を見捨てることができようか。」と、あれほど、背きの姿を見せつけられていながら、「わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。」と相反する義による煮えたぎる心の怒りとともに、民への憐れみと慈しみの二つの心の格闘に悩み抜いて下さるというのです。
 「わたしは神であり、人間ではない。」「聖なる者である。」と語るのです。人間のように報復の怒りでは臨まないのだ、と、きびしい心の葛藤は誰れをもが示しえない普遍的で大いなる民への愛をもって支えると語ってくれているのです。このことはイエス・キリストがこの世の人の全ての罪を贖って下さって、ひとり、十字架にかかって下さったみ姿は神が義の怒りをもって、この世の人々に戒めを与えるとともに、普遍的な愛をもって悔い改めの贖いを示して下さっています。             (文責・Y兄) 
 
                
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