礼 拝 説 教 要 旨             2003.5.4
「一握りの粉」   
列王記上17章1〜16節
小 菅 剛 牧師
 

 本日はエリヤを通して、主がいかに力あるお方であるか学びたいと思います。
 わたしたちが信仰生活をしていくときに、全能の神がいかに偉大なお方であるか体験することが必要です。エリヤはイスラエルの神、主は生きて働いて下さる真の神であることを明らかにした預言者です。
 わたしたちは全能の神が生活の中で生きて働かれるという経験において弱さを覚えます。エリヤは神の力を生活の中で経験しました。(2節)主の言葉がエリヤに臨んだ。(8節)また主の言葉がエリヤに臨んだ。とあります。この時エリヤは直ちに主に従ったのです。そして、ケリト川のほとりで烏を通して養われ、神が生きておられることを経験しました。次に一人のやもめを通して主の偉大さを知るのです。このやもめは一握りの粉とわずかの油しかありませんでした。しかしエリヤの信ずる神は生きておられるということを認めやもめはエリヤの言葉に従った時に壺の粉は尽きることがなく、瓶の油もなくならず、エリヤとやもめと息子の3人は養われ、ここでも神の御業を経験したのです。
 わたしたちは神の力を経験するには、従順ということを学ばなければなりません。神の示された場所にエリヤは直ちにいったのです。「そこで」又神が示されるのを待ったのです。従順です。
 神は一人一人に豊かな恵みを与えようと場所を用意しているのです。自分の思いではなく神に従って行くのです。神に従うということを学ぶには、自分を捨てるというところを通らなければ神の言葉に従うことは出来ません。従順こそ神を第1にした証です。最後の一握りの粉からのパンはまずエリヤならぬ神に献げるのです。
 主の言葉に従うとき、壺の粉は尽きず、瓶の油はたえないのです。   (文責・S兄)        
 
                
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