礼拝説教要旨                  2003.1.19
「ガバタでの裁判」
ヨハネ18章38節〜19章16節                         
小菅 香世子師
 
 
 当時のユダヤは、ヘロデ王の息子アケラオが国を治めていたが、ローマ帝国の植民地で総督が、ローマ人のピラトであった。アケラオは王であったが、実権はローマ帝国から遣わされているピラトが政治を支配していた。王としてのアケラオは傀儡に過ぎなかった。
そのためユダヤ人の間で紛争が起こると、ピラトのもとに持ってきて裁判げ最終決着をつけていた。
 ユダヤ人たちが、イエスをピラトのもとに引き連れて来た根源は妬みよるものであった。イエスは病気の者を癒し、苦しみ悩む者の味方であり、励まし助けて民衆に心から慕われていた。祭司長や下役たちに人々は従わず、イエスについていったのでおもしろくなかったのである。またイエス御自身が、わたしは上からきた者だと、はっきり民衆に明言したため、ユダヤ人たちは神を冒涜するものだと怒りをあらわし裁判のもとになった。
 ピラトはイエスにローマの法に触れる罪があったと決定的な証拠を見いだせないでいた。それで彼は「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすればわたしが彼に
何の罪を見いだせないわけが分かるだろう。」ピラトによる3回の言明がなされた。18章38、19章4、6。
しかし、民衆の反感をかってまで、釈放する勇気のないピラトはイエスを鞭で打たせた。皮製の鞭の先端に鋭い刺を付け39回も打つことにより皮膚はさけ、まさに肉体はボロボロになる。このような残酷な仕打ちにユダヤ人たちが満足し、十字架の要求を撤回してくれることを願った。そして、イエスを鞭打ったのち大勢のローマ兵は嘲笑の限りを尽くした。
 神の子であられるお方を卑しめ、辱めたのにかかわらず教会2000年の歴史の中で、多くの人々はここを見て心に静かな感動を覚える。しかし、ユダヤ人たちは、どうしてもイエスを十字架に付けたかった。それは「神の子と自称したからです。」彼らにとっては神を冒涜した言葉としてゆるすことは出来なかった。
 イエスと3年半寝食を共にしてきた弟子たちは、このお方は神の子キリストであると、信仰告白しているのである。 (文責・S兄)

 

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