礼 拝 説 教 要 旨 2002.5.5
「あなたがたは証人である」
ルカ24章36〜53節
小 菅 剛 牧師
今日のテキストは、イエス様の昇天の場面である。弟子たちはすべてをイエス様にかけていた。いつもイエス様のそばにいたかった。そのイエス様が天に帰って行かれたのである。しかもイエス様を十字架につけた敵のいる都にとどまれといわれた。とても大喜びできる状況ではないのに、「大喜びでエルサレムに帰り、神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」のである。弟子たちの喜びはどのようなものだろうか。
第一に、目が開かれた喜びである。復活のイエス様を見たとき、弟子たちは亡霊だと思った。イエス様は弟子たちに「さわってみなさい」と言われ、焼いた魚を食べられ、肉体を持って復活したことを示された。そして、イエス様の復活が預言されているモーセの律法の書を悟らせるために、弟子たちの心の目を開かれたのである。ヨハネ伝では、息を吹きかけられたと記されているが、息は聖霊を現す。御言葉を悟らせ、理解させるのは聖霊である。
第二に赦された喜びがある。イエス様の手足には傷が残っていた。誰のために、何のために傷つかれたのであろうか。それを見たとき弟子たちはわかった。罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まるのである。御子イエスの血が、すべての罪から私たちをきよめるのである。
第三に、私たちはこれらのことの証人となるのである。これをぼやかすと教会は存在価値を失う。自分の罪が赦されることも大切だが、そのことの証人であるということを切り離すと、クリスチャンライフはうまくいかなくなる。弟子たちは戸を閉じてふるえていたが、聖霊に満たされたとき、大胆に語り出した。私たちの内にも聖霊が臨み、聖書が開かれたとき、あたかもそれを見たかのごとくに、証詞させてくださるのである。
心の目を開かれ、罪を赦され、イエス様の承認とされる喜びを持って、この月を歩んでいきたい。(文責・I兄)
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