礼 拝 説 教 要 旨 2001.12.2
「クリスマスの心構え」
マタイ21章33〜46節
小 菅 剛 牧師
21世紀最初のクリスマスを迎える。イエス様の誕生に駆けつけた羊飼いの熱心をもって、東方の博士たちの思いをもって幼子にお出会いしたい。
主人がぶどう園を造って、そこによいぶどうの木を植えた。これは父なる神がイスラエルの民をエジプトの労苦から抜き取って、父と密の流れる地、カナンに移したことを指している。そして、御使を周りにおいて守り、神が祈りにこたえ、臨在を示す場を備え、その地を一方的に農夫に託して下さった。私たちは神の与えて下さったものを管理する管理人なのである。
主人に小作料を払うのは当然のことである。主人は僕を遣わして、小作料を納めさせようとしたが、農夫たちは僕を殺し、小作料を払わなかった。主人は再三再四使いを送ったが、だめであった。最後に自分の愛する子を送ったが、彼も殺されてしまった。ここで僕は預言者を指し、愛する子はイエス様を指す。クリスマスは天上における派遣式である。神は人々を愛して、罪の贖いの供え物として十字架につけるために、イエス様をお遣わしになったのである。クリスマスと十字架はセットである。
十字架の前の5日間、イエス様は主に祭司長、ファリサイ人たちに語っておられる。「主人はこの農夫たちをどうするだろうか」の問いかけに、彼らは「ひどい目に遭わせて殺し…」と答えている。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」ユダヤの宗教家たちによって捨てられたナザレのイエスは、神によって立てられ、教会の「隅の親石」、その家の中でもっとも重要な、土台を支える石となった。ここで祭司長、ファリサイ人たちは、このたとえの農夫が自分たちのことであることに気づいた。この石に攻撃を仕掛ければ木っ端みじんに砕かれる。最後は自分たちのところに返ってくるのである。
2001年のクリスマス。どのような心構えでお迎えするだろうか。(文責・I兄)
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