礼 拝 説 教 要 旨         2001.10.28
「神にはできる」
マタイ19章16〜30節
小 菅  剛 牧師
 
 金持ちが天国に入るより、らくだが針の穴を通る方がやさしい、とイエス様は言われた。しかし私たちはここで聖書が語っている核心の部分を聞くことが大切である。
 この青年の考え方は、人々が一般的に考えていることである。ルカは彼を議員、と伝えているが、地位も財産もあるこの青年は、イエス様のもとに永遠の命、死後の世界の解決、魂の救いを求めてやってきた。青年は教えを受けたら実行しようという意気込みでやってきている。掟は全て守っていると思っていた。まじめに生きてきた好青年であった。
 彼は「どんな善いことをすれば…」とイエス様に問うた。イエス様は「善いこと」を尋ねるのか、そうではない、善い方を求めるべきなのだ、と投げかけた。次に掟を守ることとと答えられた。青年は守っているつもりであった。そこでイエス様は、隣人を愛せよ、という掟を守っているなら、財産を売り払って施すほど愛を示しているのか、と問いかけられた。青年は悲しい顔で立ち去ったとある。それほどの愛があるのかと問われ、彼の良心とこの世の思いとの狭間で葛藤が起こったのである。
 当時財産がある人は神から祝福を受けた人だと思われていた。そういう人が救われないなら、誰が救われるのか、と弟子たちは思った。しかしここでイエス様が言いたかったのは、人には律法を守ることはできない、行いによって救われることはできない、ということである。人にはできないが、神にはできる。私たちの罪のために一人子を下さり、十字架につけて下さったことにより、無代価で恵みによって救われ、永遠の命を得ることができるのである。人は持っているものに頼る。自分の持っているものを持ったままで神の前に立とうとする。それでは救われない。
 ザアカイはイエス様の愛に触れたとき、財産の半分を施し、不正な取り立ては4倍にして返すと約束した。恵みによって救われた喜びと感謝が、善い行いとなって出てくるのである。(文責・I兄)

 

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