礼 拝 説 教 要 旨 2001.6.24
「信仰の決断と恵み」
マタイ13章44〜52節
小 菅 剛 牧師
今日は「決断と恵み」ということで、御言葉を学び、天の国を学んだ学者とさせていただきたい。天の国とは、死後の世界ということばかりではない。キリストを頭と仰ぎ、キリストが統べ治める世界であり、私たちの心の内にキリストが来て下さり、私たちを支配して下さることである。
天の国は、畑の中に隠された宝、高価な真珠にたとえられている。見つけた人は持ち物をすべて売り払ってそれを買う。それほどまでに価値のあるものなのである。
私たちは天国のことを学んだ学者である。古いものとは旧約聖書、新しいものとは新約聖書のことである。自由自在に御言葉を取り出すことができるようになる。このたとえはマタイだけが伝えている。徴税人であったマタイは、何もかも捨ててイエス様に従った。持ち物を売り払って貧しい人に施す、これが天の国である。
アウグスチヌスはこの箇所の宝とは、私たちのことであると説いた。世界という畑の中に、「私」という宝が隠されている。イエス様はそれを見出し、自分の命をも十字架の上でなげうって、買い取ってくださったのである。神のもとを離れて出ていった人の姿はどうだっただろうか。宝と呼ばれるどころか、節制も忍耐もなくしたどうしようもない姿である。そのような私たちを宝と呼び、買い取ってくださったのである。
自分を大切にできない人は、人を大切にできない。私たちはイエス様の目には宝である。終わりの日に捨てられ、炉に投げ入れら手手も仕方のないような私たちを、天の国に入る恵みにあずからせてくださったのである。それがわかったときに決断が生まれてくる。信仰を頭で理解するだけではなく、信仰によって生きていくものとされたい。(文責・I兄)
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