礼 拝 説 教 要 旨 2001.6.17
「そのままにしておこう」
マタイ13章24〜43節
小 菅 剛 牧師
イエス様はたとえを用いて話された。そのたとえは子供でもさとることができるが、大学教授といえどもさとれないこともある。よく聞いてその言葉にとどまり、熟読玩味する者は実を結ぶ。今日は毒麦のたとえから3つのことを学びたい。
(1)神の畑に毒麦があらわれても驚いてはならない。畑とはこの世界のことであり、教会のことである。イエス様はこの畑に種=福音をまかれた。そこには毒麦が生えることがある。これは教会に対する警告である。教会の信仰が生ぬるくなり、伝道のわざを怠り、眠ってしまうと、その間に敵=サタンが来て、毒麦の種をまいて行くのである。ここに出てくる僕たちは、熱心な信仰者である。彼らはまず主人である父なる神に祈った。どうして毒麦が生えるのですか、と。教会の中にも様々な問題が起こってくる。それは敵の仕業である。毒麦が起こるのだ、ということを教えられた。
(2)毒麦を抜いてはならない。人は裁いてはならない。信仰者も影響を受けるのである。魔女狩り、異端裁判などの教会の不幸な歴史の発端でもある。評価を下すとき、間違ってクリスチャンの魂を抜き取ってしまうことがある。だからそのままにしておきなさい。すべての人が救われるのを神は望んでおられる。私たちもそれを待ち望むべきである。
(3)終末のときには裁きがある。毒麦は集められ、炉に投げ入れられる。しかしそれは神がなさることである。からし種は小さな種であるが、成長すれば大きな木になる。少しのパン種がパンを大きくふくらませる。あなたを愛しあなたのために命を捨てたイエス様が、私たちの心に入れば、やがて地の果てにまで福音が伝えられていく。イエス様により与えられる平安。それはなんと大きなものだろうか。からし種は木になる。パンの中にパン種があるとは意識しないが、パンはふくらんでいる。福音とはその人の性質を変えてしまうものなのである。
毒麦はそのままにして、裁きは神にまかせて、よきあかしと伝道のわざを進めていきましょう。(文責・I兄)
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