礼 拝 説 教 要 旨           2001.5.20
祝福の秘訣
創世記22章1〜19節
川原崎  晃 師
 
 今日のテキストは、信仰の父アブラハムの生涯のクライマックスである。ここにあらわされている神の祝福の原則を見出させていただきたい。
 創世記12章でアブラハムは、「祝福の源となるように」と約束をいただいている。私たちはその祝福の継承者である。それは神の祝福であり、恩寵である。アブラハムに神は、「そこを離れて新しいところへ行きなさい」と命じられた。彼は信仰をもって従い、義と認められた。この祝福は、イエスキリストを通して、異邦人である私たちにも与えられている。神は常に一方的に姿を現され、近づいて下さっている。私たちを一方的に愛して、ひとり子を下さり、十字架の死に渡されたのである。神の恵みは十字架にある。
 アブラハムに、史上最大といわれる試みがあった。イサクを焼き尽くすいけにえとして献げよ、と言われるのである。彼は悩み苦しんだことであろう。説明のつかないことなのである。しかし彼は、無から有を創造することのできる神を信じ、従ったのである。アブラハムとイサク、2人一緒に歩いていった。説明のつかない状況の中、イサクも信仰が試されていたことであろう。2人一緒に神の方を向き、そこに向かって歩んでいくのが、クリスチャンの姿である。そこに神は祝福をあらわしてくださる。
 「主の山に備えあり」。神の祝福は備えられていた。イサクを献げよ、と言われ、2人そろって従っていったときに、恵みが明らかにされた。そのアブラハムの祝福、恵みは私たちのうちに、そして今から後の人々にも受け継がれている。教会こそがこの恵みを受け継ぐところである。
 この恵みにあずかることができるよう祈ってやまない。(文責・I兄)     

 

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