礼 拝 説 教 要 旨         2000.9.10
「輝きのある人生の獲得」
イザヤ64章1〜7節
小 菅  剛 牧師
 
 イザヤ書62〜64章はイザヤの祈りである。64章で祈りはピークに達する。
 1〜3節には「下る」という言葉が3度も出てくる。この祈りは、上に下ってきて欲しいという祈りである。神が私たちの中に介入してきて欲しい、いつまでも遠くにおられず、今ここに来て下さいという、切なる祈りである。 「天を裂いて下り…」とある。裂かなければならないほど、天は固く閉ざされ、祈りが跳ね返ってくるのである。このままではいけない、どうしてもあなたにきて欲しい、と彼は祈っている。
 モーセのつとめは民を神に引き合わせることであった。モーセが山を下ったとき、山は揺れ動き、そこで民は神を意識した。私たちの中に、神を恐れる人を見るだろうか。この日本のどこにまことの神を敬う人がいるだろうか。神を敬わず恐れない人々の中にあって、「あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように」下ってきてくださいと、信仰者は祈るのである。
 大洋の底に「海嶺」と呼ばれる山脈がある。人目に触れないが海中にそびえる山がある。これに人間の信仰の姿を見ることができる。目には見えないが、心の中に大きな山があり、そのために神の恵みに触れることができないのである。そのような中で、天を裂いてでも下ってきてください、と信仰者は祈らなければならない。
 クリスチャンに引退はない。年老いた者も、若い者も同じように信仰の戦いを戦い抜くのである。この教会が40年間戦い抜いてきた陰には、多くの祈り手があった。歳と共に体は動かなくなる。しかしいつも備えられている奉仕は祈りなのである。若い者は自分の願いを先に祈るが、歳がかさむと共に、神が語っておられることをそのまま聞けるようになってくる。御心を知る祈りを積みたい。
 イエス様が十字架で死んで、落胆していた弟子たちに、復活の主が顕れて下さり、力が与えられた。信じていない人が脱帽するような神の介入を求めて、祈っていきたい。(文責・I兄)                            

 

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