礼 拝 説 教 要 旨 2000.6.25
「次の段階、神のみこころのままに」
使徒行伝18章18節〜19章7節
小 菅 剛 牧師
教会とキリスト者にとって「神のみこころ」は大切なものである。イエス様の生涯は神のみこころを歩まれた。パウロもみこころのうちに歩み、ヤコブは「主のみこころならばあれもこれもしよう」というべきであるとすすめている。今日のテキストで、シリヤに旅立つパウロの、エペソの兄弟たちへの別れの挨拶は「みこころならばまた帰ってくる」であった。今日は聖霊のバプテスマと神のみこころについて学びたい。
「みこころ」には2つの意味がある。1つは神の基本的なお考えのことで、それは聖書にはっきりと書かれている。何が禁じられ、何がすすめられているのか聖書を読めばわかる。もう1つは個人的な、あなたに対する神の配慮、計画、導きのことで、それは聖書には書かれていない。みこころを知るためには、まず自分の計画をはっきりと持つことである。パウロもある誓願をもってケンクレアで髪を剃って出発している。自分の計画と神の計画がフィットするかどうかは神が示してくださる。2つが合わなければ成果は上がらず、徒労・失敗に終わる。合ったときには素晴らしい収穫を得られる。
使徒16章には、「聖霊によって禁じられた」とある。それでアジアではなく、ヨーロッパで福音が語られることになった。エペソではアポロというユダヤ人が福音を語っていた。パウロは彼の説教に物足りないものを感じたのであろう。アポロと共に信仰を守る人々に「聖霊を受けたのか」と尋ねた。彼らは聖霊を知らなかった。アポロは福音を語っていたが、自分の計画だけで歩んでいたのである。
ヨハネのバプテスマは「罪の悔い改めによる救い」である。聖霊のバプテスマは次の段階、神のみこころを聞き、みこころに歩むということである。ペンテコステの日に聖霊が降り、神のみこころのままに歩むようになったのである。みこころを知るためには祈りが必要である。
イエス様はご自分の計画を持っておられたが、常に祈りによって父のみこころと照らし合わせて歩まれた。私たちも自分の計画を持ち、それをみこころと照らし合わせ、みこころのままに歩んでいく者となりたい。(文責・I兄)
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