礼 拝 説 教 要 旨 2000.5.21
「恵み溢れる教会」
詩篇23篇
小 島 十 二 師
私たちの神は、この世を人のためにお造りになった。罪に堕ち神の手から離れた私たちをサタンの手に渡したままにされるのを良しとされず、御子を下さり、私たちの罪の身代わりとして十字架につけてくださった。この曲がった世の中にあって聖い生活を送れるようにと、下さった恵みである。
詩篇23篇は「聖書の真珠」とよばれる箇所である。作者であるダビデは、人と神との関係を「主は私の羊飼い」とはっきり悟ることができたのである。私がどんな人物であろうと、神が私と共におられ、神の力によって私の歩みが継続し、敵の前にあっても宴を設けてくださるという絶大な神の恵みをダビデは歌っている。生きている限り、神の親切と好意が私を追いかけてきて、ついには永遠の命に入れられる望みが与えられている。たとえ私たちの心に不満足、争い、不安、絶望があり、死の淵を歩いているような時にも、主は共におられる。羊飼いである主は、私たちのために十字架上で死に、3日目によみがえり、福音を宣べ伝えよ、と語られた方である。
ダビデとは愛される者、という意味である。彼は父母に愛され、イスラエルの全民衆に愛された。そして神に愛された。愛されているから苦しみがないということではない。艱難の中にあっても守られ、助けられ練られて行くのである。ダビデにも苦しみがあり、また失敗があった。しかし彼は愛されていたために、罪の中においたままにする事を良しとされず、ナタンを起こされ、悔い改めの実を結んだ。罪赦された彼の生涯が、この23篇に凝縮されている。
彼の前には「みどりの牧場、いこいのみぎわ」が広がっている。それは神の恵みをあらわす。進む道は主の契約の箱が通ったわだちである。主の臨在のうちに歩んでいることをあらわしている。信じ悔い改めることでその道を歩むことができる。
羊の最大の仕事は、神殿で神にささげられることである。私たちの生涯が神のために、人のために献げられた生涯であるようにと祈る。(文責・I兄)
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