礼 拝 説 教 要 旨          2000.5.14
「神の恵みはむだにならず」
Tコリント15章1〜11節
小 菅  剛 牧師
 
「わたしに賜った神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。」
 このみ言葉の通り生きたいというのが、願いであり祈りであり、チャレンジである。救いが努力や行いで得られるなら、キリストの死は無駄となる。救いとは、神の一方的な好意として与えられる恵みなのである。キリストの十字架と葬りと復活と顕現は、受ける資格のないものに一方的にもたらされる福音である。弟子たちは十字架の前のイエス様と歩み、復活のイエス様を見ている。パウロはクリスチャンを迫害していたが、そのパウロにイエス様は顕れてくださった。そして今私たちにも顕れてくださるのである。入信の時も信仰生活の間もそして天に入るときも、一貫して恵みにより、信仰によるのである。
 それでは信仰だけでいいのだろうか。パウロは、恵みをむだにしないように働いてきた、と書いている。恵みを受けたなら、はたらきが、奉仕が出てくるのである。恵みに満たされているといいながら、奉仕がないのは自己満足にすぎない。パウロは教会を迫害していた。イエス様は生まれたばかりの小さな教会のことよりも、パウロ自身を気にかけておられた。「パウロよ、お前は苦しんでいるのだろう」といって、パウロに顕れてくださった。そのときパウロはキリストの愛の長さ高さ深さ広さを知った。そして異邦人への伝道のため立たされた。私たちは神の子と呼ばれる資格はないが、そんな私たちに声をかけてくださり、ひとりごをさえ惜しまずに投げ出してくださった。この恩寵に感じた人は、働かずにおれないのである。働いてきたことも「神の恵みである」とパウロは書いている。
 私たちは一方的な恵みにより、神の子としていただいた。多くの人が救われるために、その恵みを語っていく人となりたい。(文責・I兄)           

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