礼 拝 説 教 要 旨 2000.5.7
「神の恵みを無にしない」
ガラテヤ2章15〜21節
小 菅 剛 牧師
気がついたら恵みを無駄にしている、ということがある。「わたしは神の恵みを無にはしない」とパウロは書いているが、神の恵みとは何なのだろうか。それはキリストを信じる信仰によって人は皆救われるということである。
私たちは信仰に入るときに、律法の行いによらず、出来不出来によらず、私の現実のまま、義と認められるのである。私たちは行いによらず、人となりによらず、今の現状のままの姿で救われるのである。今の自分の姿を自分でよくしようとしてもできない。今そのままのあなたの心の戸をイエス様は叩いておられる。どうぞお入り下さいと受け入れるだけで救われる。救われれば自ずと造りかえられるのである。
パウロはパリサイ人として、ガマリエルの門下で学んだ人である。そしてクリスチャンたちを迫害した。迫害の思いに燃えてダマスコに向かう途中で神に待ち伏せされ、乗り込まれた。パウロは律法を守り、よき行いをすることで天国に入れると思っていた。しかし外に見えることではなく、内から出てくる悪しきもので苦しんでいた。神はそのパウロのことを気にかけ、乗り込んできた。律法によって救われるのではなく、信仰によって救われる、という恵みを受け入れたのである。神の恵みとはキリストを私の内にお宿しする、いやキリストが乗り込んできてくださり、私の心の中をきよめて下さることである。それによりパウロは喜びと平安を得たのである。
私たちは、御子イエスキリストの真実と誠実によって救われる。私たちは欺くことができるが、イエス様は真実と誠実の限りを尽くされた。私たちを愛して、苦しまれ、十字架にまでついて下さった、イエス様の私たちに対する真実、それによって救われるのである。私たちの状態が如何であれ、イエス様は誠実の限りを尽くして下さった。そして天に昇り、私たちのためにとりなしの祈りを捧げて下さっている。
イエス様の真実と誠実が第一である。私たちの信仰はあるかないかだけである。イエスキリストの誠実が私たちを救う。この恵みをパウロは無駄にしないと行ったのである。せっかくキリストが死んで下さったのだ、と受け入れましょう。(文責・I兄)
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