◆第4代牧師 岩田師時代
ホームページを開設し、インターネットでみ言葉や教会案内を讃美歌や聖歌・写真などと共に知らせている教会がある。一人思い悩む魂に、『世の光となっておいでくださった救い主なるイエス様』を伝える尊い働きである。
岩田牧師の時(80年代) に、文明の機器を活用した宣教が始められた。「伝道用着
信電話」と言われていた「テレホン道しるべ」である。3分間にわたって讃美歌と岩田牧師のメッセージが聞けたのである。
「5日の拡大役員会では、各会の状況報告等がありましたが、電話の愛称を投票で決
めることになり、結果『テレホン道しるべ』と言うことになりました。常に真理を指し示す道標としての役割を果たすことが出来るよう御加祷下さい。5月14日設置以来、1日平均16回延456名の方に毎日利用されておりますことを感謝いたします。」(83年6月12日週報より)
北海道の私たちの群は、羊ケ丘、石狩、函舘、幌向と新琴似に教会を設け礼拝をささげている。美園から枝分かれし、福音宣教を進める礎となったのは、鍋島猛牧師時代の清田伝道に端を発し、岩田牧師の時には、より一層具体的な信徒の奉仕や祈りとなったと言えると思う。
91年の『主の山に備えあり』札幌羊ケ丘教会献堂記念誌を見ると、清田に土地が献げられ、伝道所を土地付で購入した経緯が述べられている。
「清田のD兄より献げられた教会用地1160坪余りは、諸般の事情から
最善の方法にて、6,683,300円で購入させて頂き、完納致しましたので御報告いたします。」(83年11月13日週報)
教会堂建設へのあゆみが具体的になったのはこのころからである。清田地区の伝道にも一層祈りが注がれた。
「1日(日)の全体伝道委員会で溝田伝道所において、しばらくの間、毎週夜の伝道会を守ることを話し合いました。岩田牧師と信徒は、美園と清田を隔週毎に交換して、説教と奨励を受け持ち、グループが順番に、清田へ奉仕を致します。(以下略)」(83年5月8日)
「来週より清田伝道所における伝道夕拝が開始され、8つのグループがご奉仕致しますが、6月5日(日)夜はEグループの方々です。(午後7時)バスはやまわ前より(中略)帰りは反対側より乗車、札幌駅まで(東急前)行きますので便利です。奉仕が祝福されるように御加祷下さい。」(5月29日)
美園や北区・手稲方面からも奉仕に駆けつけていたことがうかがわれる。
「5日(日)夜より始まった清田伝道所における第1回伝道夕拝は、Eグループによる証し、賛美、岩田牧師のメッセージで力強く前進致しましたが、新来会者に3名の御家族が出席され、感謝でした。(中略)出席者20名でした。」(6月12日)
「あなたたちが足の裏で踏み込む所は、すべて、あなたたちのものとなり」(申命記1
1・24が開かれ、82年6月13日は、清田新会堂建設予定地における最初の野外礼拝であった。現在教会が建っている土地よりやや北で丘の上の方で市街化調整区域のため建物がなく見通しが利くので、遠くからでも十字架が見え教会の存在をアピールできると思ったものである。I家の奉仕でマイクロバスが運行され、ゴザを敷き詰めての礼拝であった。礼拝後、開かれたみ言葉のごとく一同で祈りつつ会堂予定地を踏みしめた。昼食は、持参したおにぎりとエステル会の奉仕による豚汁に舌鼓を打った。野外礼拝は年に1度だったが、その後数年続けられた。
清田地区への伝道は、84年3月に二宮一朗伝道師を迎え一層前進した。清田会堂予定地に札幌市営の廃バスを設置し、CSが始められ教会学校の礼拝が毎週もたれるようになった。
また、85年4月には、石狩に伝道所を購入、5月に開所式を行った。翌年3月には、桑田恭子師が石狩伝道所の伝道師として着任、4月より独立礼拝がもたれるようになった。
「あなたの天幕に場所を広く取ら、あなたの住まいの幕を広げ惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。」(イザヤ54・2)
羊ケ丘教会が、北海道地区のセンター教会としての思いを与えられ、新しい教会を生み出す祝福の内にあるのは、ただ主の恵みとお導きによるものである。
これからも、主の前に謙遜であり続ける教会でありたいと願うものである。
主の栄光を賛美し、感謝しつつ。
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