◆第1代牧師 小島師時代

 昭和39年は美園教会にとって記念すべき年となった。春まだ寒い4月、神戸垂水教会から小島十二師を初代牧師として迎えたのである。「日本イエスの霊の流れの中に加わりたい」……昭和38年5月の東京クルセードにおける日本イエス・キリスト教団との摂理的な出合いは、S姉を通して美園の群れに与えられた主の大いなる恵みであった。1年後(38年7月)日本イエス・キリスト教団に加えられ、そしてこの春、待つこと久しい初代牧師を迎えるに至ったのである。

 S兄姉宅の家庭集会(30年ごろ)から起こされ、出エジプト時代、無牧の民として、霊的流浪の中を通された、美園の群れにとって、その喜びは、筆舌に斥し難いものがあったのである。
 小島師ご一家は、元ラーメン屋を改築しに教会堂に住まわれることになった。8畳2間を礼拝堂とし、それに6畳と4畳半という手狭な建物であった。教会用地が低く、雨が降るたびに水に浸り、その都度かけつた信徒と共に排水作業をされたのである。
 小島師時代は3年間と短い期間ではあるが、教会形成期と言われ、教会としての基盤と体制を着々と築き上げて行く時期であり、系統だったみことばの学びと、基本集会によって群れは養われてゆくのである。
 小島師は、着任されるとすぐに早天祈祷会を始め、また借家であった旧美園教会堂取得のための祈りも礼拝後集中してもたれるようになった。4月に小豆師を迎えて開催した聖会は、年に一度開催するに至った。美園聖会の始まりである。翌40年は道城師を、また41年は婦人局長の山田晴枝師を迎えて開催している。
 また、40年2月には、北海道ケズィックコンベンションの第一回開催に協力し、当教会から多数の参加者を定山渓に送っている。
 昭和41年5月に開催された「第一回礼幌福音クルセード」は特筆すべきものである。これは、誕生して間もない美園教会がイニシアチブを取って市内教会に呼びかけ、北海道最初の福音クルセード (本田弘慈師)を札幌に誘致したのである。約50の教会がひとつになって共に戦ったこの本田クルセードは、5日間、市民会舘に満員の会衆を集めて、大勝利のうちに終了した。
 小島師はこの間、市内教会、牧師間の連絡を密にし、超教派的な交わりを深め、その結果、福音派教会の牧師霊交会である札幌朝食祈祷会が発足したのである。
 同じ5月、借家であった美園教会の土地家屋の購入を決め、予約献金を開始して、3カ月後の8月には、購入代金を完納したのである。小島師着任後すぐに始められた会堂取得のための祈りは、2年3カ月の歳月を経て、すばらしい実りを刈り入れることになった。″祈りは必ず成就する″、祈りの人であった小島師は、その確信を群れに残して、昭和42年3月、芦屋川教会へ転任されることになった。そして再び神戸垂水教会から鍋島猛師を二代目牧師として迎えたのである。主の恵みを集めて、群れは大きく成長してゆくのであった。
 教会の歴史は、群れの祈りが、叶えられていく歴史でもあった。その恵みの足跡の先頭には、常に主の足跡があった。教会史をひもとく時、恵みの足跡は私たちに語りかける。″主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない″と。

 

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